長崎市への原子爆弾投下では、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分に、アメリカ軍が日本の長崎県長崎市に対して投下した人類史上実戦で使われた最後の核兵器である。アメリカは長崎に投下した原子爆弾のコードネームをファットマン(Fat Man)と名付けていた。制式名称はマーク3(Mk.3)核爆弾。これにより当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡し、建物は約36%が全焼または全半壊した。
長崎平和公園・平和祈念像 http://isidatami.sakura.ne.jp/heiwa2.html
長崎市へは、中学校の修学旅行で訪れたことがあり、平和公園や原爆資料館などを見学した。
ここで紹介するのは漫画家・山岸凉子先生の作品『夏の寓話』について書かれたブログである。 http://ameblo.jp/tanabe-no-turu/entry-10987056195.html 主人公の男子大学生は初めての夏休みに祖父宅の留守番をしなければならなくなり、不満たらたらでその家があるH市を訪れる。そしてそこで不思議な少女と出会い、尋常ではない体験をする・・・
読者はストーリーの最後のほうになってやっとH市が広島市だとわかる。
”・・・・・・ あたしの髪に火がついて 目と手が焼けてしまったの あたしは冷たい灰になり 風で遠くへとび散った
あたしはなんにもいらないの だれにもだいてもらえないの 紙切れのように燃えた子は おいしいお菓子も食べられない ・・・・・・”
この物語の舞台は広島市であるけれど、”紙切れのように燃えた子”たちは長崎市の原爆投下時にも大勢いたに違いない。
長崎市の原爆資料館を見学した時は、ただ恐ろしいという印象が強かった気がする。 『夏の寓話』はそれからかなりあとに読んだが、こちらは悲しかった。紙のように燃えた少女の悲しみの記憶が、主人公の心の共鳴を通してそのままに伝わってきた。描写の強烈さから、読後のショックも大きかった。 直接体験した悲劇でなくとも、それを理解しようと努め、様々な表現方法で伝えていくことができるのだと実感させられた貴重な作品だったと思う。
|
|