
ネット上(主にTwitter)で見られる記述で、人によって意見の異なる事項があるので、自分の見解などを
*餓死した鹿はいない 死亡した鹿の検死が行われた例は少ない。実のところ、これまで検死が行われたのは、主に不審死が連続して起こった場合のみで、検死が行われても、死因を特定することは大抵は困難である。 廿日市市の委託で宮島の鹿の調査を行なっている一般財団法人 広島県環境保健協会の担当者によれば(この人は問い合わせをするたびに、同じ質問に微妙に異なる答えをするのであるが)飢えによって死んだと判断した例があったと言ったことがある。胃の中がカラだった例があり、このような場合を指しているのだろうかとも思う。 とにかく死因が明らかでないのであれば、”餓死した鹿はいない”という表現は適切でない。 逆に鹿が餓死しているともはっきり言えないが、この場合もっと重要な問題は、市の餌やり禁止の方針によって鹿が飢えに苦しんでいるのではないかということだと思う。 ↓の動画はほんの一例であるが、少なくとも自分が宮島を訪れた2006年には見られなかった光景である。
宮島 厳島神社 鹿に襲われないよう注意しましょう https://www.youtube.com/watch?v=T5lEF3vHFy8
*鹿の頭数について 前記の鹿の調査の担当者によれば、市街地とその周辺に500〜600頭いて、これが島全体の80%くらいであるという。そして年間100頭ほどが死亡しているが、頭数に大きな変化はないと考えている。 宮島の環境産業グループは鹿の死体を焼却処分していて、その数は年間40〜50頭であるが、これはあくまで発見された数で、実際の死亡数はもっと多いと考えられる。そして死亡数は報告されず、マイクロチップの有無も未確認である。なお、島全体の頭数についてはここ数年の調査報告がない。 これだけの情報しかないけれど、鹿の頭数、市街地とその周辺の山の分布や移動の状況は明確でないと思われる。
*奈良から連れてきた 第二次大戦後、狩猟によって宮島の鹿の数が激減し、増やすために奈良から数頭の鹿を連れてきたという話がある。(なぜ増やす必要があったのかは知らない) これについては、奈良にそのような記録が残っていないという理由で、否定的な見方をする人がいる。けれど、古い記録などは残っていないことのほうが多いし、そもそも記録を残したかどうかも分からない。 奈良の鹿は古くから春日大社の神鹿として大切に保護されていたが、国の天然記念物に指定されたのは1957年で、春日大社が法律上の所有者であったことはない。このような理由から、奈良の鹿を宮島へ連れてきたことを否定する根拠があるとは言えない。
★旧宮島町は鹿を駆除しようとしていた ・・・ということは最近聞いた。(情報源は秘す) 宮島は全体が県指定の鳥獣保護区なので、環境省や県に許可申請をしたと思われ、まず環境省広島事務所に問い合わせ。ここではわからず、県に訊くほうが妥当だと言われた。また、そのような記録や関係書類などは保管されるのは10年ほどで、以後は破棄されることが多いとのことだった。 とりあえず、広島県自然環境課に問い合わせ。ここでもわからず、やはり古い記録などは(ry もしかすると廿日市市に編入された際に業務が引き継がれ、あるいはそこに記録が残っているかも・・・と助言を受けたが、許可申請をした当時の旧宮島町長は現在は廿日市市の市議で、また鹿の餌やり禁止に賛成しているとのことで、自分に都合が悪い記録だとすれば抹消できる立場にある。 この件のいきさつなど詳細は不明であるが、これが本当なら、宮島の住民の多くは鹿の駆除を望んでいる可能性があるということになる。
Twitterでは字数制限があるので書きにくく、リプで混乱するかもしれないので、とりあえず少しここに記述してみた。
(画像は動画より)
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